鷲ヶ窟(鷲ヶ峰)563m

遥か昔、山伏が修行として跋渉したであろう山岳地帯を感じて下さい。・・布施の山伏マラニック 最終折返し地点です。

★隠岐の文化材 第21号 灘部周作氏文より・・・
 往古、ここ鷲ガ峰一帯は修験山伏の修行の地であり、古文書にも「魔所にて入山の人稀なり」とあります。
 鷲ヶ峰こそは隠岐山伏の聖地かと思われます。

 この鷲ヶ峰の下方の数箇所に、修験修行の祈り、山上の神霊を遥拝する祈願所が置かれていたらしいが、
 明治の廃佛運動に伴う修験の廃止以後
 修験者による祭祀は禁じられていた為に、岩穴の小祠や天狗像の由来及び以前の祈願所の位置や数などは不明である。




★竹谷素信氏著 布施の山伏より・・・

 山岳地帯の中で最も恐れられていた魔所は鷲ヶ窟方面とされている。鷲ヶ窟は山脈の上に聳え立ち、その周りは
 断崖で取り巻かれた鋭鋒で、今は鷲ヶ峰と言われている。造化の巧妙と神秘にうたれ、大満寺山とは異種の宗教的な
 感慨にもひたるようである。

 頂上近く、北西面の岩壁(通称・ビョウブ岩)に岩穴があって、その中に朱塗りの木像の天狗像が納めてある。
 八天狗と称していたが、七体がある。
 山伏の末裔が、その後継者の代に納めたものである。
 南谷側の男山の谷から断崖の下まで登った所に祠がある。これは彼の大峯回峰の拝所になぞらえて山伏が設けた
 山霊の拝所である。古い時の事は判然としないが、近年の祠については建立者や、製作者なら分っている。
 《当時この辺りに入山し伐木等の山林かせぎ作業についていた
藤井寅一氏が改修し、奉置したという。祠の制作は
 
 服坂久宣氏が当たった・・それを更に改建したのが現在のもので、大倉幹夫氏(藤井氏の孫)が斡旋した。
  工人は
服坂新一氏(久宣氏の長男)

 その拝所を過ぎて、いよいよ断崖に登るのは至難の事である。断崖に岩穴がある。その入り口に五葉松が生えて、
 枝を広げて穴を守っている。この中に栖屋がある。扉を開けば紫の幕が垂れ、奥に八天狗が置いてあり、それぞれ違った風体  
 である。八天狗は但馬国から迎えたと伝えられている。
 
昔の人は「鷲ヶ窟には、山伏と天狗と一所に住んでいる」と思っていた。鷲ヶ窟を神格化して「ワシガミサン」と称する人も多い。

 鷲ヶ峰という名は、大峯山<修験道のメッカ吉野〜熊野までの山脈を言う>奥駈行程の中にもある。
 大満寺山〜鷲ヶ窟にも同じ名前を付けて、大峯の行程を再現しようとしたと思われ、その昔山伏が擬死再生の修行を
 積んだであろうことがしのばれる。鷲という名は山伏が好んで用いた語でもある。 

天狗の伝承として、大浜家(勝太郎氏)に天狗の爪と称する家宝?があり、勝太郎氏はが若い時、鷲ヶ峰の天狗に
さらわれて丹波の国に連れて行かれて云々という伝説がある。(後に大浜家は祠を建てて地主さんを祭った・駐在所内にその址がある)
『布施 春日末社 秋葉権現祠・・秋葉権現は天狗を正体とする祠で、鷲ガ窟と関連があり、春日境内から鷲ガ峰を遥拝する時の
 小祠として置かれていたが、今は祠は無い。その跡に杉の木が立っており、大山神社の遥拝所を兼ねている。
 秋葉権現が子大山とも言う所以である。』