東寺(京都市南区)

東寺真言宗総本山

 教王護国寺とも呼ばれるが、開創以来、正式な名称は東寺だった。もとは平安遷都のとき、西寺とペアになるかたちで建立
された寺院だ。ちなみに、西寺はほとんど発展せず、まもなく廃絶したらしい。この東寺を、空海は嵯峨天皇からたまわって、
真言密教の京都における拠点とした。それゆえ、空海の私寺という性格をもつ金剛峰寺(和歌山県高野町・高野山真言宗総本山)
に対して、東寺は官寺の性格が濃い。
 空海が生きていた頃に建立された伽藍そのものは存在しないが、彫刻・絵画ともに、空海が活躍していた当時の作品が多数、
伝えられている。膨大な文書類とともに、日本密教を語るうえで、貴重きまわりない。なかでも、講堂にならぶ仏菩薩の彫刻の多くは、空海の思想を知るためには絶対に見逃せない。もちろん、その出来映えも抜群で、日本の彫刻史において、超一級といっていい。

                                    正木晃氏 知の教科書 密教 (講談社)より抜粋させていただきました。

砂原 秀遍氏  隠岐の島町 中村出身  東寺真言宗管長と教王護国寺第二百五十六世長者に就きました!

 平成16年11月、東寺真言宗総本山の管長に、隠岐の島町中村出身の砂原秀遍氏が就任されました。
砂原氏は隠岐の島町の国分寺や、五箇村の願満寺などの住職を経て、1957年に東寺に入山。1992年から東寺事務長をつとめ、
権大僧正に就任されました。 日本書道協会(9段)正会員や日本書道連盟顧問の肩書きも持っています。