金峯山寺(奈良県吉野郡吉野町)

金峯山修験本宗総本山

 吉野山から大峯山山上ヶ岳にかけての一帯は金峯山(きんぷせん)といい、古代から広く知られた聖域だった。白鳳年間(7世紀後半)、
この金峯山に修験道の開祖とされる役行者(役小角)が修行に入り、修験道の本尊となる金剛蔵王大権現を祈り出す。その姿を
桜に刻んで、山上ヶ岳(大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(金峯山蔵王堂)にまつったのが、金峯山の開創と伝えられる。
 平安中期から修験道の本場として大いに繁栄し、藤原道長をはじめ、時の権力者もたびたび詣でててる。南北朝の争乱では
南朝の拠点として勇名を馳せ、後醍醐天皇の陵墓もこの地にある。また、西行が庵をむすんで以来、日本最高の桜の名所としても名高い。

 その後も時代の変遷を乗り越えて栄えつづけたが、明治維新により一挙に暗転する。め明治五年(1872年)の修験道禁止令により金峯山寺は廃寺。
ようやく同19年(1886年)に天台宗の寺として復興した。昭和23年(1948年)に蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、
その総本山として現在に至っている。

 
中心の蔵王堂は金峯山寺の本堂にあたり、天正20年(1592年)ころの再建。東大寺の大仏殿に次ぐ規模を誇る。
秘仏の本尊蔵王権現(約7メートル)三体のほか、多くの尊像を安置している。近年は修験道の復興や、吉野・熊野・高野山の一帯が
世界遺産に登録されたことにともない、訪れる人が多い。

                              正木晃氏  知の教科書  密教  (講談社)より抜粋させていただきました。


吉野・黒門

金峯山寺蔵王堂

蔵王堂

蔵王堂正面

隠岐から脱出した後醍醐天皇が一時皇居としてた吉水院から見える、蔵王堂

蔵王堂近くにある、役行者像

蔵王堂

蔵王堂

山伏