布施こころ公園・造林始祖碑

竹原の(布施デーサービス裏にある)造林始祖碑は、100年前に建立したもので、
文字が風化し、さらに漢文なので現代人には読みにくく、不便なので岩山氏が拓本を取り、
文字を復元して「布施こころ公園」の中に再生した。
さらに委員会が和文に訳したものを、1700年前の中国の文字(オオギシ)で臨書した。
高さ、2、3Mの石碑(デザイン・岩山哲川氏)

岩山哲川氏の造林始祖碑、碑文作成にかけた想い!

約350文字の碑文を書くのに、朝から晩まで2ヶ月かかりました。
この間は設計の仕事が出来なくて大変でした。
(隠岐・布施の皆さんあの碑文を大切にして下さい。)
1700年前の「オオギシ」(中国の書聖)の文字を再生するのに1ヵ月、
作った書体を練習するのに1ヵ月、計2ヶ月の大作です。(穂先がすりちびてしまいました)

「オオギシ」
中国の書家で、書を勉強する人が必ず取り組む古典です。
世界随一の書聖とされています。
現在の楷書は、明治時代に文部省が習字の手本として制定したもので、
一般によく使われているが、歴史のある古典ではないので、書作には向かない。
この文字を使い書いた場合「○○書」と書き、
オオギシなどの古典を使い書いた場合「○○臨」と署名する。
従って、造林始祖碑は「岩山哲川臨」となっている。

歴史ある造林始祖の揮毫を担当する心構えとして、又
幾多の苦難を乗り越えて、隠岐の発展に全身全霊を注いだ
先人の魂を治める碑文を歴史に残す訳ですから、
こちらも真剣に取り組まなくてはいけません。それで日本一を指名したのですが
それがだめになり、私が書く。これを考えた時、これはもう
「オオギシ」で攻めるしかないと決心しました。

書道界にも規律がある。大先生を差し置いて、末端の弟子が揮毫するわけですから
それなりの書体で攻めるしかない。書けなければ私も辞退するしかないのです。
それが「オオギシ」を選んだ理由です。

又、行者・山伏・造林始祖数々の先人が出会ったであろう、
中国オオギシの文字、この文字を
海の族に送りたいのです。
孫として、今出来る事を一つ一つやって行くのが勤めではないでしょうか!